
こんにちは!永遠の17歳、ゆぴ(@milkprincess17)です。
突然ですが、大丈夫?と聞かれると思わず『大丈夫!』と言ってしまいませんか?
ひとりでいるときは滅入っていても、誰かに会うと明るく振舞えてしまえたり、本当は根暗な癖に全然表面上は明るく見えたり。
そんな、演技力に定評がある人は結構いるんじゃないなぁと思います。
そして私もそういうタイプです。
でも、それってなんのためにやっているの?
今回はそんな『良かれ』と思ってやってきたことが実はクソかもしれないというお話です。
演技の上手い人は損である
わたしが明るく振る舞わなくては、と思ったきっかけは中2の時の渡米でした。
言葉が通じないという環境の中、もともと人付き合いが苦手なわたしは、このままだとわたしの存在が死ぬ、という危機感を覚えました。そこから、
『せめて、話せないなら笑っていよう』
と、フェイスランゲージを会得するに至ったのです。
だって、暗いよりは明るい方が周りもきっと笑顔になると思ったし、話しかけやすいやわらかい雰囲気を出すことは大事だと思ったから。
そして、どんなに苦手なことでも、毎日毎日やっていればそれなりにうまく出来るようになるもので、だんだんと自分もそれが演技だったことを忘れていきます。
しかし、それがすっかり定着した頃、高校3年生の時に友達に言われた衝撃の一言があります。
『私の悩みはニコニコちゃんにはわからないよ』
ニコニコちゃん。
えぇ、わたしは友達にニコニコちゃんって思われているんだ…。
何が起きても笑っているから、多分、悩みもなく、人の痛みに寄り添えない、根暗な気持ちなんてわからないような人に見えてしまっているんだ…とまではわかりませんが、ものすごくショックを受けました。
多分、演技力の高い皆さんならわかると思うのですが、その後わたしは板についた笑顔で
『ひどいー!そんなことないよ!』
…と、冗談のように笑って返し、心で思い切り泣きました。
本当は演技を見抜いてくれる人を探している
どうして自分がショックを受けてしまったのか。それは、自分が理想の自分、こうあるべきな自分を演じる一方で、無意識に
『本当の自分をちゃんとわかってくれる人』
を探してしまっていることに気付いたからです。
完璧な仮面を作りながらも、きっと友達なら本当のわたしに気付いてくれるはず、そんな仮面の裏側を『察して』くれることを期待していたのです。
でも、友達と言っても、所詮は他人。そんな他人に、言語以外の要素で気持ちを汲み取って察しろ、と無意識に願ってしまっているという。
え、それってクッソおこがましくね?
『本当の私はこんな明るくないの。気付いて…?』
『あなたは表面上のわたしが好きなのよ…』
なんて勝手に悲観して失望して悲劇のヒロインぶっている場合ではない。
人との衝突のすべては、ディスコミュニケーションで起こります。本来ならわかりあえるはずの人も、お互いが本心を隠して接しているなら一生わかりあえないんです。
それは大体自分が自分の気持ちをちゃんと伝えずに、察してくれるのを期待してしまっているから。
偽りすぎると自分の声さえ聞けなくなる
もちろん、社会人だったら本当の自分を偽るべき場面はあると思います。
でも、利害なしで人と付き合っていくならば、そんな偽りだらけのコミュニケーションじゃ、世渡り上手にはなれても、自分をしんどくさせるだけです。
だから、例え空気をぶち壊したとしても、気分が落ち込んでいるな、っていうときに無理やり明るく振る舞う必要なんてないし、良い人ぶって褒めたりしなくて良いし、優しくなりたいから、こうあるべきだから、って理想を掲げてそこに自分を押し込めて演じるのは本当にダメ。
それは、なんだか人としてもすごくペラくなっちゃうと思うんです。
だって演技している自分のことを、自分は『本当の自分』だと認めていないんだから。
そして、それは、『あれ、私はどういう風に振る舞いたいんだっけ?何がしたいんだっけ?』
という自分の心の声さえ聞こえなくなってしまう。
だからせめて、自分が正しくコミュニケーションしていきたいと思う相手には
『大丈夫!』じゃなくて、
『大丈夫じゃない、しんどい 』って言っちゃえよって話です。
それで引いちゃうような相手なら一生あなたのことを受け入れてくれないと思うし、あなたも受け入れられないと思います。
本音を言ってはじめてスタートラインに立てると思うから。
おしまい
P.S. 最近ディスコミュニケーションをやらかしたので反省の意味も込めて書きました(自戒)